彦根で看取り士という新しい資格というか、最後を迎える人に寄り添う研修に参加しています。彦根は雪でした。一面白景色です。車を走らせながら、今回は母との別れの事をしっかり考えていくことだとは分かりました。私が16歳の時にあっという間に母は亡くなりました。その時から母の死に向き合う事には蓋をしていました。これは自然な流れからです。高校時代は陸上選手でインターハイ、国体まで行きましたので自然とそちらに一緒懸命で母の死を深くかみしめていなかったのです。心理学でいう転化ではないでしょうか。。。

内観という時間があり、母の胎内にいる時のことを振り返る時間がありました。バックグランドミュージックあまり関心しない音が流れてはいたのですが、何だか、母は死んでもいつも居てくれていたと実感できました。講師の先生やテキストにも亡くなられた人が、自分と一つになったという経験談が多かったです。衝撃ではなく、ジワリ~と来た感じです。「ああ、母はいつも居てくれた・・・」という感じで初めての感情でした。

何度か表現しましたが、30年くらい前に、品川でのいだきしんピアノコンサートで母が死ぬ瞬間の場面が見えた時がありました。新人看護婦がわーわー泣いて傍に婦長さんがその新人の肩を抱いていたような光景でした。その瞬間に自分は看護師になると決めたとはっきりわかりました。看護師として20年以上経っての出来事でした。見ず知らずの人の為にここまで泣いてくれてという気持ちです。本当に自分より大泣きしてくれていました。母は死ぬ瞬間に愛を伝えてくれました。この仕事は天命だと確信しています。愛から始まった仕事です。母の死んだ悲しみからではないのです。しかし、そこ止まりだったのです。ともに母は居続けていました。魂はあるという話もお聞きし自分と向き合うことができました。今日も参加し、身体で習得です。