いだきしんピアノコンサート2日間連続お聞きでき、自分を遥か超えるような体験をしました。人間として生きる、いのちに嘘偽りなくいきることを考えます。
いだきしん先生には申し訳なかったですですが、連日のいろいろがありすぎて、音に集中はできませんでしたが、ふと、昨日の会話を思い出しました。知り合いに仕事のことで電話した時「○○さんは責任をとってくれないから・・・」という話を思い出しました。この人はずっと人の所為にする人です。コンサート中に何で?という事を考えはじめました。朝晩神棚にずっと祈っている人だったことを思い出しました。起こっている事が全て神様につながっているのではないかと考えました。良い事も悪い事も皆神様が決め当た事です。そう考えると責任を取ってきた人生とは無縁です。神様の所為なのです。今起こっている戦争もそうです。特にイスラム教は神の名の元に何でもできます。神様の所為にすればいいのです。驚きます。そのことに気が付きました。神様もたまったものではないですね。
わが社かんのんという名は屋号ですが、実家は仏壇はありましたが、水神様が庭にぽつりとあっただけで、かんのん様はなく手を合わせる習慣はなかったです。このことは良かったです。人間が物事を決め責任をとっる家です。
沢山の人間が生きにくい状況です。昨日も若者が生きる事に悩んんでいる事を聞きました。もしかしたら、この神さまの事が大きいかもしれません。大げさかもしれませんが、人類の未来が、人のいのちがかかっています。いのちのまま、動いていきます。